業務管理部責任者のU.TETSUJIです。
業務管理部とは、いわゆる社内のシステム関連を一手に担う部門です。

さて今回は、弊社の行動指針についてお話したいと思います。

弊社には、
”変化を楽しむ”
という行動指針があります。

変化にまつわる言葉は数多くありますが、
今回はキャリアや環境が及ぼす変化について
私自身のダーウィンズでのキャリア遍歴を混じえてご紹介していきたいと思います。

 

マドンナ時代(3ヵ月)

※マドンナ=オペレーター

私がこの会社に中途で入社し最初に担当したのは、
関節系サプリメントのアウトバウンド獲得業務でした。

前職では営業をしており、それなりに成果は残したので自信はあったのですが、
最初の1ヵ月目はまったく売れませんでした。。。
社会人経験のない若い学生が、自分よりも圧倒的に受注できていたのを目の当たりにし、
(自分この仕事)向いてないと思って、配属から1週間もしないうちに、
リク●ビですぐ転職活動を再開したくらいです。

ただ、何も成果を残さず去るのはこんな私でもプライドが許さず、
休みの日にはドトール●ーヒーで1日中トークの研究
(声のトーンや言い回し、間やテンポ、切り返しパターンなど)と仮説を立てて、
翌日の仕事から実践し検証を繰り返しました。

それをやってる内に徐々にコツをつかんでいき、
2ヵ月目では並みの成績、
3ヵ月目でやっとチームトップを獲ることができました。
振り返るとこの時の経験は、現在の仕事でも大きく役に立っているなとしみじみ実感しています。

そのお陰もあり、4ヵ月からSV(スーパーバイザー)として働けることになりました。

 

札幌コンタクトセンターSV時代(6年6ヵ月)

特にうちの会社では、SVの仕事は多岐に渡ります。

最初に私がつまずいたのはExcel操作。
恥ずかしながら私は、当時20代半ばまでPCを使う習慣がほとんどなく、
Excelをまったく使えませんでした。
ただ、使えないと言うのがなんか嫌で、関数とかできますとホラを吹いてました(笑)

SVとして勤務する1日前に、当時の上司がExcel研修をやると言い出し、
私がある程度理解してる前提で研修開始しましたが、
まったく使えないことが開始2分で発覚し、研修は強制終了となりました(笑)

なにも分からずじまいで終わったので、仕方なくググりながら独学で勉強して、
なんとかその日中に業務に必要である表を完成させました。

私としては、このSV時代が最もキャリアが長く濃い期間でした(※2020年5月現在)
思い出を挙げていくと相当長くなるので割愛しますが、
本当に酸いも甘いもたくさんあり、
この時の経験が今のキャリアのベースとして非常に大きなものになっています。

コンタクトセンター運営にあたり、コアになる部分とは何か?

人それぞれ答えはあると思いますが、私は「SV」だと考えます。
ここが機能しているセンタ―は、絶対的に強いです。
もしSV経験がなかったら、この考え方にはなっていないだろうと思いますし、
部署や立ち位置が変わっても高い視点から業務効率化にあたれるのは、この経験があってこそです。

それに気がつくのはもう少し先の話ですが、
私が今の部署に移った経緯を少しお話したいと思います。

私はSVという立場にありながらも
「人を動かす」「協力して何かを成し遂げる」といったマネジメントの類が不得手で、
それを施策設計やスクリプト構築力、研修の質、数字とロジックを最重視した分析等、
個人でなんとかカバーしようとするタイプでした。

最初はそれでよかったのですが、
そのうち私には新規の立ち上げ案件や運用が複雑な案件が数多く集まるようになり、
次第に仕事量は増え続け時間がいくらあっても足りない状況に陥りました。

当時の私は、個人的な気合で乗り切る日々が続いていたのですが、
当然そんな生活が数年続くと、気づかないうちに心身共に疲弊し
仕事もうまくいかない瞬間も増えていきました。

数年ぶりのリ●ナビの画面見ながら「次どうしようかな」と考えていた時に、
当時の札幌センター長に、「システム部門に異動してみない?」と言われ
即答で行きます!って答えてから、今のキャリアの第一歩が始まるのです。

 

札幌センターシステム時代(3ヵ月)

部署異動したものの、そもそも私はシステム系の知識も経験まったくないド素人。
この期間は、ひたすらSV業務の引継ぎと
システム部のルーチン作業を覚えることに手一杯でしたが、
新しいスキルを身に着けてる感がすごく新鮮で楽しかったのを覚えています。

この期間で、PCのセッティングやCTIの管理・操作・保守、データ集計や加工作業、
補助的なツール作成等やっとスタートラインに立てるか立てないか?
レベルなスキルを身に着けます。

そんな異動2ヵ月目のある日、突然センター長に会議室に呼び出され、
「徳島センターに行ってみない?」と打診されました。
一部業務の徳島拠点集約化&徳島センターにシステム部員がいない等の状況を聞かされる中、
直感的に行ったほうが面白そうだなと思い、「行きます!!」って即答しました。

 

徳島センター異動、システム/業務管理時代(2015年7月~現在)

今から約5年前の話になります。
当時の徳島コンタクトセンターは、今ほど規模も大きくなく開設して日も浅かったため、
未完成の部分が多く残るセンターでした。
ここでの私の最初の役割は、サーバ保守、インフラ管理・充実化、
システムトラブル対応、納品部門のサポート・効率化が主たるものとなります。

ただ、よく考えたら3ヵ月前までシステム知識0の人間が、
1つの拠点のシステム業務全般を担う訳なので、日々、未知との遭遇が続きます。
サーバが落ちた、ネットワークがつながらないといったトラブル系から、
新しい回線やシステムを入れる、増床する、データ集計用ツールを作るなどといったものなど…

今となっては余裕を持てるようになりましたが、
コンタクトセンターのシステム障害や事故等は一歩間違うと、
会社として金銭的にも信用という意味でも取り返しのつかない損失になるケースがあります。

自分を客観的に見ると、これまでの私は性格的にかなり大雑把で適当な感覚型の人間でしたが
このような事実の中で仕事をしていると、人間意外と変わります。

正確に言うと、キャラの本質は変わってないけど、
新しいモノの見方や考え方がアドオンされるような感じです。

といっても、スキルや経験が圧倒的に足りていないが故、
失敗も苦い思いもそれなりに沢山してきましたが
トライアンドエラーを繰り返すうちに、
自分の新たな側面と可能性を発見できるようになります。

いちエンジニアとして自分自身を客観的に見ると、
自分以上にスキルや知識、経験を持った優秀な人材なんて世の中にはごまんといます。
その中で、未だに自分が生き残っていて、
現在は会社の業務管理部門(※システム系含む)を持つ立場にいるのは
過去のオペレーターやSVの経験があったからこそだと思います。

いろいろ長くはなりましたが、仕事にしろキャリアにしろ
変化しようとする時は痛みを同時に伴うことがあるかもしれませんが、
そこに思い切って飛び込んでみることで、初めて分かる世界も確かに存在します。
スティーブ・ジョブズも言ってましたが、
後々振り返った時、点と点が線になる瞬間が出始めます。

私自身まだまだ自分に満足できていないですし、
今後もそういった気持を持ち続けながら、日々進化し遂げられるように
チャレンジングな人生を歩みたいと思います。

最後に、これからのキャリアを真剣に考えている方へ。
変化を恐れず、何事も思い立ったらチャレンジしてみてください。